一、正文
[日]川合康三·著
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§『羅生門』(三)
どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいる遑(いとま)はない。選んでいれば、築土(ついじ)の下か、道ばたの土の上で、饑死(うえじに)をするばかりである。そうして、この門の上へ持って来て、犬のように棄てられてしまうばかりである。選ばないとすれば――下人の考えは、何度も同じ道を低徊(ていかい)した揚句(あげく)に、やっとこの局所へ逢着(ほうちゃく)した。しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」であった。下人は、手段を選ばないという事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その後に来(きた)るべき「盗人(ぬすびと)になるより外に仕方がない」という事を、積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。
語釈 ついじ 土塀。築地と表記するのがふつう。
低回 行ったり来たりする。
揚げ句 最後に。結局。連歌の最後の七・七を挙げ句ということに由来。
局所 限定された一部分。ここではさまざまなことを考えたなかの一つ。
逢着 出くわす。思いがけずに会う。
かたをつける 決着をつける。結論を出して終わりにする。
二者択一の悩み。餓死するか盗人になるか。どのように違うか。餓死は悪事はしないが命を失う。盗人は命は失わないが悪事をする。
二者択一で悩んでいただけではない。盗人という選択肢を認めたくない。それほどにこの時点においては「善人」である。
下人は、大きな嚔(くさめ)をして、それから、大儀(たいぎ)そうに立上った。夕冷えのする京都は、もう火桶(ひおけ)が欲しいほどの寒さである。風は門の柱と柱との間を、夕闇と共に遠慮なく、吹きぬける。丹塗(にぬり)の柱にとまっていた蟋蟀(きりぎりす)も、もうどこかへ行ってしまった。
語釈 大儀そうに 身体の疲労、重さとともに気分をもあらわす。
下人は、頸(くび)をちぢめながら、山吹(やまぶき)の汗袗(かざみ)に重ねた、紺の襖(あお)の肩を高くして門のまわりを見まわした。雨風の患(うれえ)のない、人目にかかる惧(おそれ)のない、一晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも、夜を明かそうと思ったからである。すると、幸(さいわい)門の上の楼へ上る、幅の広い、これも丹を塗った梯子(はしご)が眼についた。上なら、人がいたにしても、どうせ死人ばかりである。下人はそこで、腰にさげた聖柄(ひじりづか)の太刀(たち)が鞘走(さやばし)らないように気をつけながら、藁草履(わらぞうり)をはいた足を、その梯子の一番下の段へふみかけた。
語釈 かざみ あせとり、下着。音読みかんさんの語変化。
ひじりづか 三鈷柄(さんこづか)の刀剣。柄が杵の形をして両端が三つに分かれている。
鞘走る ひとりでに刀身が鞘から抜け出る。
頸を縮めながら……肩を高くして……見まわした 一見ちぐはぐな動作。周囲に対する警戒、恐れが頸を縮める。広く探すために肩を高くして見る。
どうせ死人ばかり 結局死人だから危害は加えられない。しかしこれは近代的な見方か。屍体に対する恐れは当時なかったか。
それから、何分かの後である。羅生門の楼の上へ出る、幅の広い梯子の中段に、一人の男が、猫のように身をちぢめて、息を殺しながら、上の容子(ようす)を窺っていた。楼の上からさす火の光が、かすかに、その男の右の頬をぬらしている。短い鬚の中に、赤く膿(うみ)を持った面皰(にきび)のある頬である。
ぬらしている―水、液体によって潤った状態になること。ここでは光についていう。
それから何分かの後である―場面の交代。カメラの切り替え。
読者をいざなう。別の人が登場したかのように思わせて、ニキビというしるしによって先の下人とわかる。きわめて映像的な描写。
もう一つの意外性は「火の光」が登場したこと。これより前は暗さが強調され、羅生門に光りがあるとは記されなかった。火は人の存在のしるしでもある。
「何分かの後である」違和感あり。
下人は、始めから、この上にいる者は、死人ばかりだと高を括(くく)っていた。それが、梯子を二三段上って見ると、上では誰か火をとぼして、しかもその火を其処此処(そこここ)と、動かしているらしい。これは、その濁った、黄いろい光が、隅々に蜘蛛(くも)の巣をかけた天井裏に、揺れながら映ったので、すぐにそれと知れたのである。この雨の夜に、この羅生門の上で、火をともしているからは、どうせただの者ではない。
語釈 高をくくる たいしたことはないと見くびる。
ただの者 ただもの。普通の人。否定形で用いられること多し。
なぜはしごの中段で止まっているかの説明。結果を先に記してあとから理由を説くという書き方もこの小説の特徴。読者を引きつけていく。
死人以上に恐ろしい。下人の警戒。
下人は、守宮(やもり)のように足音をぬすんで、やっと急な梯子を、一番上の段まで這うようにして上りつめた。そうして体を出来るだけ、平(たいら)にしながら、頸を出来るだけ、前へ出して、恐る恐る、楼の内を覗(のぞ)いて見た。
語釈 守宮 足音を立てずに進む比喩に守宮は必ずしも適当でないが、あとの姿勢は守宮を思わせる。
ぬすむ 人に気づかれないように何らかの行動をする。 人目をぬすんで会う。
見ると、楼の内には、噂に聞いた通り、幾つかの屍骸(しがい)が、無造作に棄ててあるが、火の光の及ぶ範囲が、思ったより狭いので、数は幾つともわからない。ただ、おぼろげながら、知れるのは、その中に裸の屍骸と、着物を着た屍骸とがあるという事である。勿論、中には女も男もまじっているらしい。そうして、その屍骸は皆、それが、かつて、生きていた人間だという事実さえ疑われるほど、土を捏(こ)ねて造った人形のように、口を開(あ)いたり手を延ばしたりして、ごろごろ床の上にころがっていた。しかも、肩とか胸とかの高くなっている部分に、ぼんやりした火の光をうけて、低くなっている部分の影を一層暗くしながら、永久に唖(おし)の如く黙っていた。
この段は下人の視線による。「噂に聞いた通り」「わからない」「おぼろげながら知れるのは」「らしい」「疑われるほど」などに明らか。ただ、この段のあとに行くほどそれが薄れる。
下人の立場から描写しながら、下人の感情は何も記されない。このことはどんな意味をもつか。下人はすでに見たように死者を恐れない。とはいえやはり平常ではない。異常な光景を息をのむように見続ける。感情を抱く以前の状態というべきか。
下人(げにん)は、それらの屍骸の腐爛(ふらん)した臭気に思わず、鼻を掩(おお)った。しかし、その手は、次の瞬間には、もう鼻を掩う事を忘れていた。或る強い感情が、殆(ほとんど)悉(ことごとく)この男の嗅覚を奪ってしまったからである。
臭気に対する拒絶反応。しかしそれをするのを止めるほどに強い別の感情が生まれたというが、「ある」というだけでこれも説明は次に回される。
下人の眼は、その時、はじめてその屍骸の中に蹲(うずくま)っている人間を見た。檜皮色(ひわだいろ)の着物を着た、背の低い、痩(や)せた、白髪頭(しらがあたま)の、猿のような老婆である。その老婆は、右の手に火をともした松の木片(きぎれ)を持って、その屍骸の一つの顔を覗きこむように眺めていた。髪の毛の長い所を見ると、多分女の屍骸であろう。
語釈 檜皮色 焦げ茶色。
「ある強い感情」はまだ説明されないが、老婆を見た驚きが臭気も忘れたことを説明する。老婆の様子が修飾語を並列して描写される。
下人は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、暫時(ざんじ)は呼吸(いき)をするのさえ忘れていた。旧記の記者の語を借りれば、「頭身(とうしん)の毛も太る」ように感じたのである。すると、老婆は、松の木片(きぎれ)を、床板の間に挿して、それから、今まで眺めていた屍骸の首に両手をかけると、丁度、猿の親が猿の子の虱(しらみ)をとるように、その長い髪の毛を一本ずつ抜きはじめた。髪は手に従って抜けるらしい。
怖さと怖い物見たさ、しかし怖さの方が大きい。
「頭身の毛も太る」今昔物語に常用される。怒髪 天を衝くと似た表現か。『史記』刺客列伝の荊軻の伝、易水送別の場面に、「士皆瞋目、髮盡上指冠」。藺相如伝にも秦王に迫って、「怒髪上衝冠」。
「猿の親」の比喩。姿形をたとえるだけでない。死体の首に手を掛けるという行為と猿の親子の行為との落差。後者は愛情のこもった行為。死体であるにもかかわらず平然とその動作をする老婆に対する驚き。
「らしい」は作者の言葉のように見えて実は下人の下す推測。下人の立場から描写される。
その髪の毛が、一本ずつ抜けるのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつ消えて行った。そうして、それと同時に、この老婆に対するはげしい憎悪が、少しずつ動いて来た。――いや、この老婆に対すると云っては、語弊(ごへい)があるかも知れない。むしろ、あらゆる悪に対する反感が、一分ごとに強さを増して来たのである。この時、誰かがこの下人に、さっき門の下でこの男が考えていた、饑死(うえじに)をするか盗人(ぬすびと)になるかと云う問題を、改めて持出したら、恐らく下人は、何の未練もなく、饑死を選んだ事であろう。それほど、この男の悪を憎む心は、老婆の床に挿した松の木片(きぎれ)のように、勢いよく燃え上り出していたのである。
語釈 語弊がある 言葉の使い方が適切でないために弊害がある、誤解を生じる。
下人の心境の変化、恐怖から憎悪へ、老婆に対する憎悪から悪そのものに対する憎悪へ。登場人物の心理、心理の変化を描く。これが心理小説たるゆえん。
変化は外物に接することによって生じる。恐怖と憎悪はどう違うか。対象との関係。恐怖は自分が対象によって危害を加えられはしないかと不安、恐れを抱く感情。その場合、確実な被害よりも被害を得そうな推測が恐怖を生む。憎悪は対象を激しく強く嫌い、不快な思いを抱く。対象と自分との力関係が恐怖と憎悪では逆になる。
下人はなぜ憎悪を生じたか。見るものの立場、老婆に対して第三者の立場を得たからか。自分の置かれた状況を忘れさせ、人一般の立場から見る。
憎悪といったものが、悪に対する反感に言い換えられる。それによって下人の立つ立場が個人の利害、感情を離れて、善悪という普遍的基準にすり替わったことがわかる。悪に反感を抱くことは善の立場に立つことであり、従って先の二者択一では「餓死」を選ぶことになる。
二、中文翻译
§《罗生门》(三)
没办法的事,为了想办法解决,没有选择手段的工夫。如果选择的话,不是在筑土下就是在路旁的土地上饿死。然后被带到这扇门上,像狗一样被抛弃。如果不选择——下人的想法,在同一条路上低徊了好几回之后,才终于到达了这个局部。但是这个“如果”,无论到什么时候,结果还是“如果”。家将在肯定不择手段的同时,为了给这个“做”加个名字,当然也有勇气积极肯定之后应该来的“除了做贼没有别的办法”他没有出门。
释义:土墙。一般标记为筑地。
来回低走。
最后再说一下。结果。因为连歌最后的七·七是最后的结尾。
局部限定的一部分这里是各种各样的思考中的一个。
相逢。意外地见面。
做个了断得出结论作为结束。
二选一的烦恼。要么饿死,要么做贼。有什么不同呢?饿死虽然没有坏事,但会失去生命。贼虽然不要命,却干坏事。
不仅为二选一而烦恼。不想承认强盗这个选项。在这个时候,他就是个“好人”。
下人打了一个大喷嚏,然后大摇大摆地站了起来。傍晚寒气逼人的京都,已经冷得让人想要烧火盆了。风随着暮色肆无忌惮地从门柱与门柱之间吹过。停在漆墙柱子上的蟋蟀,也不知跑到哪里去了。
他滔滔不断地解释着身体的疲劳和沉重,同时也表现出了心情。
家将衬(写)缩,福寿接上(和)的汗水耸起ざみ(?),绀的拉门(啊)的肩膀高的门四周张望。因为他想,如果有一个既无风雨之患,又无人迹所惧,又能让他轻松地睡一晚的地方,那就在那里过夜吧。于是,他看到了爬上幸门上楼的宽梯。上面就算有人,也都是死人。家将穿着草鞋的脚踩到了梯子的最下面一层,一边小心翼翼地不让腰间挂着的圣柄大刀出鞘。
释义风汗、内衣。音读之间的词语变化。
圣冢三钴柄的刀剑。剑柄呈杵形,两端分为三部分。
剑身从鞘中独立出来。
一边缩着脖子……把肩膀垫高……环顾四周,乍一看动作不太一致。对周围的警戒和恐惧让她缩起了脖子。为了寻找更广的地方,他抬高了肩膀。
反正都是死人,毕竟是死人,所以不能加害。但这是近代的看法吗?当时有没有害怕尸体?
又过了几分钟。在通往罗生门楼上的宽梯中段,一个男人像猫一样缩着身子,屏住呼吸,窥视着楼上的动静。从楼上照进来的火光,微微地打湿了那个男人的右脸颊。那就是短胡子里长着肿疮的脸上长粉刺的脸颊。
湿—因水或液体而保持湿润的状态。这里说的是光。
几分钟后,场面交替。切换镜头。
吸引读者。让人以为是另一个人登场了,根据“痤疮”这个记号就知道是前面的下人。极其影像性的描写。
另一个意外是“火光”的登场。在这之前强调了黑暗,没有记载罗生门有光芒。火是人类存在的标志。
有“几分钟之后”的违和感。
家将从一开始就以为上面的人都是死人。他爬上两三级梯子一看,发现有人在灭火,而且还在四处移动。因为那混浊的黄光摇晃着映在角角落落布满蜘蛛网的天花板上,所以立刻就明白了。在这雨夜,在这罗生门上点火的,肯定不是一般人。
含糊其辞,认为没什么了不起的。
只是个普通的人。普通人多以否定形式使用。
为什么会停在梯子中段的说明。先写结果,后说理由的写法也是这部小说的特征。吸引读者。
比死人还可怕。下人的警戒。
家将像守宫一样蹑手蹑脚地爬上了陡峭的梯子,爬到最上面的一层。他尽量保持身体的平直,把头伸到前面,战战兢兢地往楼里看。
释义守宫不发出脚步声地前进,用守宫来比喻未必合适,但后面的姿势会让人联想到守宫。
为了不被偷东西的人发现而采取某种行动。偷偷摸摸地见面。
只见楼内果然如传闻所示,有几具尸体被随意丢弃,但由于火光波及的范围比想象中要小,所以数不清。只是隐约可以知道,其中有裸体的尸体和穿着和服的尸体。当然,其中似乎也有男人和女人。这些尸体就像泥土捏成的人偶一样,张着嘴,伸出手,骨碌骨碌地躺在地板上,甚至让人怀疑他们是活人。而且,肩膀和胸部等高耸的部分受到朦胧的火光照射,压低的部分的影子变得更暗,永远哑巴似的沉默着。
这个阶段取决于下人的视线。“和传闻的一样”“不知道”“虽然模糊但知道”“好像”“令人怀疑”等很明显。只是,越往这一层越淡。
从下人的立场出发进行描写,却没有记载任何下人的感情。这件事有什么意义呢?家将如前所见,不怕死者。话虽如此,还是不平常。她屏息注视着异常的景象。应该说是产生感情之前的状态。
家将不以为然地掩住鼻子,闻到这些尸体腐烂的臭味。但是,下一瞬间,那只手已经忘记了掩鼻子的事。因为一种强烈的感情几乎夺去了他的嗅觉。
对臭气的排斥反应。但是,他产生了一种强烈的情感,足以让他停止这样做,但他只说了一句“有”,然后再解释。
家将的眼睛这时才看到一个蹲在尸体里的人。那是一位身穿桧木色和服、身材矮小、瘦弱、白发苍苍、像猴子一样的老婆婆。老妇人右手拿着点燃的松木片,凝视着其中一具尸体的脸。从头发的长度来看,应该是女尸。
桧皮色,深褐色。
虽然“某种强烈的感情”还没有被说明,但是看到老婆婆的惊讶说明了连臭气都忘记了。老婆婆的样子用修饰语并列描写。
下人在六分的恐惧和四分的好奇心的驱使下,有一段时间连呼吸都忘记了。借用旧记中记者的话来说,就是感觉“头身的毛也会变胖”。老婆婆把松木片插在地板上,然后双手搭在刚才看的尸体脖子上,就像猴子的父母抓小猴子虱子一样,一根一根地拔起长头发。头发好像随着手脱落。
害怕和看到可怕的东西,但更多的是害怕。
今昔物语中常用的“头上汗毛都胖”。类似怒发冲天的表现吗?《史记》刺客列传的荆轲传,易县送别的场面,“师,大家瞋目发尽上手指冠”。蔺相如传逼迫秦王“怒发上冲冠”。
“猴子父母”的比喻。不只是比喻姿态。把手放在尸体脖子上的行为与猴子父子行为之间的落差。后者是饱含爱意的行为。老婆婆明明已经是尸体,却还能若无其事地做出这样的动作,让人大吃一惊。
“好像”看起来是作者的语言,其实是下人做出的推测。从下人的立场被描写。
随着头发一根一根地脱落,下人心中的恐惧一点一点地消失了。与此同时,我对老婆婆的强烈憎恶也一点点地动了起来。——不,说是对这个老太婆,也许有语病。相反,对一切恶的反感,每分每秒都在增强。这时,如果有人向这位下人重新提出刚才他在门下考虑的是饿死还是做贼的问题,恐怕这位下人会毫无留恋地选择饿死吧。这个男人的憎恶之心,就像插在老婆婆地板上的松木片一样,猛烈地燃烧起来。
释义语弊:由于词语的使用方法不恰当而产生弊端,产生误解。
家将心境的变化,从恐惧到憎恶,从对老婆婆的憎恶到对恶本身的憎恶。描写登场人物的心理、心理变化。这就是心理小说的原因。
变化是通过接触外物而产生的。恐惧和憎恶有何不同?与对象的关系。恐惧是指担心自己受到对象伤害而感到不安、恐惧的感情。在这种情况下,比起确实的损失,可能会受到损失的推测更容易让人产生恐惧。憎恶是强烈强烈地讨厌对象,怀有不快的心情。如果对象和自己的力量关系是恐惧和憎恶,则正好相反。
家将为什么会产生憎恶呢?是站在旁观者的立场上,对老婆婆采取了第三者的立场吗?忘记自己所处的状况,从一般人的立场去看。
所谓的憎恶,可以换成对恶的反感。由此可知,家将所处的立场已脱离个人的利害、感情,换成了善恶这一普遍标准。对恶抱有反感,就是站在善的立场上,因此在前面的二选一中,会选择“饿死”。
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